先日、娘の通う幼稚園で運動会がありました。
予定日に雨が降り延期され、平日に開催されたにもかかわらず、多くの親御さんが参加していた。
幼稚園の運動会なんてものは、ただただ可愛いものである。
小さい子供たちが必死に何かに取り組む姿を見て、可愛い以外の感想は出てこない。
かけっこにダンスに組体操。
そのすべてをやってのける子供たちに、ただただ笑顔にしてもらった。
それにしても、我が子が一番可愛い。
運動会は午前中で終わった。実に濃密な時間を過ごさせてもらいました。
平日ということもあり、午後からは仕事だった。妻も同じで、娘は一緒に見に来ていた義姉に預かってもらうことにした。
それが娘には耐えられなかった。
大泣きである。妻に抱き着いて離れない。
駐車場で「ママがいいー!嫌だあああ!」と泣き叫ぶ娘。
少し前までは満面の笑みだっただけに、ギャップも相まって余計に胸が痛む。
その声を聞きながら、「父親として自分はこれでいいのか」と、不意に自分に問いが生まれた。
こうなったら仕事を休んで、午後からも一緒に過ごしてやろう!
と、本気で思ってはいた。
しかし、ママママ言うだけで一ミリも私の所に来ない娘を見て、私は仕事に行くことにしました。
我が子の成長を目の当たりにすると、私自身も父親として成長しなければと感じます。
そう考える父親は多いと思うのだが、そもそも父として成長するとはなんなのだろうか。
身長が伸びることではないだろうし、足が速くなることでもないだろう。
きっと中身の問題だろうとは、思うのです。
どうなることが成長するということなのだろうか。
成長するなんて簡単に口にしながら、それがどういったことなのかを理解していない。
自分が好きな本を紹介したくて、このブログを始めました。
そして、紹介する記事を書くために、伊坂幸太郎さんの作品を読み返す日々です。
一度読んだ本なのに毎回心から楽しめるのは、伊坂幸太郎さんの手腕によるものか。それとも、私の記憶力のなさによるものか。
そして、伊坂幸太郎さんの作品には理想的な父親が多く登場するのです。
『AX』の主人公である兜は本気で理想の父親像ですし、『ゴールデンスランバー』に登場する主人公の父親のかっこよさには胸打たれます。
先日読み終わった『砂漠』に登場する東堂パパに関しては、カッコいいとは違うのですが尊敬できる父親像を見ました。
父親として成長したいと思うとき、理想とする誰かが存在するのはありがたい。
たとえそれが小説に登場する架空の人物でもいいんだと思うのです。理想はあくまで理想ですし。
誰かに刺激を受けつつ、自分が理想に思う父親像に近づいていくことが、父として成長するということなのだろうと思う。
このような父親が正解ですという答えもないわけですしね。
なーんて、色々と理想を語ってはみたものの。
娘はお菓子を買って貰って笑顔になったそうだ。
理想の父親より、優しい母親より、子を笑顔にするのはお菓子である。
今日はここまで。
上で書いた伊坂幸太郎さんの作品の紹介記事もよかったらどうぞ。
それでは、佐世保の隅っこからウバでした。
皆様の今日が幸せな一日でありますように。






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