ウバです。
職場での休憩中は、部屋の隅っこに座って読書をしています。
安物のワイヤレスイヤホンを耳に突っ込んで、最近ハマっているJAZZを聴きながらの読書です。
水筒に入れて持ってきたホットコーヒーの香りも相まって、少しだけ穏やかな休憩時間を過ごしています。
数年前までは喫煙所に籠ってタバコばかり吸っていました。
禁煙した今は喫煙所にも行きませんし、そこで笑い合っていた職員たちは皆やめてしまいました。
イジメられて辞めていった彼を思うと、いまだに胸が痛みます。
それにしても読書はいいですね。
自分だけの世界に入り込めます。お気に入りのJAZZも読書に合うし、そこにコーヒーがあれば最強。
自分の周りに小さい壁を作ることができます。職場では、この小さな壁が私を守ってくれています。
今読んでいる本は、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』です。
私が勝手に好きなとある方が、好きだと言っていたので購入。
きっと三十九歳のオッサン向けに書かれた小説ではないとは思いますが、オッサンのハートに激刺さりしています。
きっと、今の私に足りないものが描かれている。
そう思わせてくれる物語でした。
でした。って、まだ途中なんですけれどね。
タイトル回収に向かいましょう。
そんな職場での休憩中、少しだけ昔のことを思い出していました。
私がまだ「あらまあ、可愛い坊ちゃんね」と言われていたころ、祖父の家でチラシを棒状に丸めて武器を作って遊んでいました。
小さい男の子は、とにかく棒を武器にしたがるんですよね。
で、祖父の家には糊がなかったんです。せっかく丸めても、くっつけないと武器になりません。
可愛い坊ちゃんは、それはそれは怒るんですよね。
「糊がないと武器になんないじゃん!」って。
そこで祖母が持ってきたのが、米です。
白米。あの、美味しい奴です。
米粒をコネコネしてくっつける。
これがまあ、くっつく。チラシは真っ直ぐな棒状になって、可愛い坊ちゃんは満足しました。
めでたし、めでたし……。
そんな、三十年以上前のことを思い出していたんですよね。
思い出した理由は、私が読書やジャズを「自分を守るための壁」として利用していることに気づいたからでした。
楽しむためでなく、世界から私を守る武器として、読書やジャズを利用している。
けっこうナイーブなオッサンは、そんな事実に罪悪感を感じました。
読書もJAZZも武器ではない。自分を守る壁でもない。
とは、思うのです。
しかしですね。
どんなものだって武器にして、がむしゃらにならんと生きていけないわけですよ。
自分が持っているものでしか、戦えんわけです。
可愛い坊ちゃんがチラシと米粒で武器を作っていたように、読書とJAZZを武器にしたっていい。
今の自分になにがあるのか。
それが当たり前の使い方ではないとしても、どんなことをしたって生きりゃあいい!
そう、思ったんですよね。
読書を盾に、JAZZを剣に、米粒を糊に、生きていくわけです。
いったい、私はなにを書いているのだろうか。
日記とはいったい……。
しかしまあ、頭の中でとはいえ祖父母に会えてよかった。
米粒が糊の代わりになること、可愛い坊ちゃんは忘れていないようですよ。
今日はここまで。
それでは、佐世保の隅っこからウバでした。
皆様の今日が幸せな一日でありますように。


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